当麻喜明

日本の宇宙ロケットのルーツ-ペンシルロケット

2012年8月 8日 | 当麻喜明 | Comment0

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JAXA相模原キャンパスの隣には相模原市立博物館があります。JAXA連携企画展「宇宙科学の先駆者たち~糸川英夫と小田稔~」が開催されているので見学しました。日本の宇宙開発の最先端を見た後に、ロケット開発のルーツ「ペンシルロケット」の実機を見ることが出来ました。

Pentax K5 DA 1:4 16-45mm EDAL


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年表のスタートは1955年4月に始まります。


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会場には15mにおよぶ再現された発射台がありました。


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ペンシルロケットの50周年再現実験のとき作られた機体。


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1955年4月に発射された実機。感無量・・・


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2段式に進化したタイプもありました。


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撮影中の見学者の方が構えていたカメラ・・・Pentaxでした!


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完全燃焼目指して作られネーミングされた「マカロニ推薬」。


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進化したカッパー型ロケットに搭載され回収された機械式フィルムカメラ。


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記録された画像。


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観測ロケットとして優れたカッパーは、海外にも輸出されたそうです。


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後のラムダ型ロケットで初の国産衛星が誕生します。
「おおすみ」です。


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なんと失敗を重ね重ね、5号機でやっと衛星軌道に乗せることが出来ました。
(1号機はもともと実験機で衛星軌道に乗せる能力はなかった。)


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1970年2月11日、日本はソビエト、アメリカ、フランスに続いて衛星を軌道に乗せた4番目の国になったのです。私はずっとこの打ち上げを見守っていました。この頃は打ち上げもNHKが中継をしていたので、私はカセットテープレコーダーでしっかり録音していました。今でも時々聞くことがあります。L-4S5号機は私に不屈の精神と粘り強さを教えてくれました。


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日本の固体燃料ロケットは軍事用の大陸間弾道弾が進化した物ではなく、
大学の研究施設が純粋に科学目的で成功させた世界に誇るべき技術です。


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これらのロケットにやがて搭載されていく科学衛星のシリーズにある
X線観測衛星は小田稔博士の情熱が後押ししていました。


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奔放な小田稔博士のメモに対して、糸川英夫博士のノートは緻密です。


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理学の小田稔と工学の糸川英夫のコラボレーション。
優れた両輪がルーツにあったので、小惑星探査機「はやぶさ」の
サンプルリターン成功に続いていったのでしょう。


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