当麻喜明

2011年の賢治祭は9/9-月日星海

2011年10月 1日 | 当麻喜明 | Comment[4]

101.JPG 2011.9.23 umi karano hinode

露天風呂から日の出を見るか、部屋の窓から撮影するか・・・迷わずじっくり撮影することに。5時20分には、東の水平線がザワザワしてきました。水平線と雲のカーテンの間の一点がにわかに明るくなりました。

Pentax K5 & Q & Lumix G2


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5分後には太陽が出現し、光の帯が届きました。

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とても贅沢な日の出鑑賞です。


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太陽と海面の光の帯。


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訪れたウミネコ。


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贅沢な夜明け・・・
太陽の右に幻日が現れました。

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光も分光し、くっきりと見えました。


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瓦礫に含まれた水分の蒸発。

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森の含んだ水分の蒸発。


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そして、一日の始まり。


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ホテルの窓から望む、公立志津川病院、防災対策庁舎、志津川中学校。


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さらに引いて海と

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空。


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月の出も、

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オリオン座や牡牛座が海から昇り、月も日も星も見られた今年の賢治祭。
賢治が生きていたら何を考え、どんな行動をとっただろう。

雨ニモ負ケズの「行ッテ」の意味を考えなくてはいけません。

Comments [4]

No.1

こんばんは。
なんて綺麗な写真でしょう。
ウミネコも面白いし、海も雲が美しいです。
西ニツカレタ母アレバ行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
私にも疲れた母がいます。
今日は行って来ました。

「雨ニモ負ケズ」は賢治愛用のノートに記された、現在で言えば1931年11月3日の twitter です。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/45630_23908.html

青空文庫の全文です。
日本の東北地方は里山が多く、このあたりでなくしてしまった風景が、近代的な街と共存した場所が多くあります。自然災害でなくした風景と「欲や怒り」でなくした風景は違います。

私はてんとう虫さんのサイトを見て「まだまだ私が知らないものや美しいものが多いなあ」と教えていただいています。誰にも「行ッテ」は違いますが、大切な行動ですね!

No.3

美しい自然ですね。海や空を見てると大きな災害は夢みたいです。
でも、被災地の写真を見ると神様は何という試練をこの時代にお与えになったのかと思います。
考えてみたらは明治、大正、昭和初めは他国と戦争をしていた時代だし、江戸時代以前はそれこそ日本国内で戦があったし、いずれの時代も穏やかではありませんでした。
その時代時代に試練はありましたものね。この試練を人間は乗り越えて次世代につないでいくのだと思います。

ウミネコの写真…思わず笑ってしまいました。観洋の窓辺にたくさんいましたっけ。とても気に入りましたので、PCの背景に貼らせていただきました。

試練を経てきた方は強いです。言葉では説明しずらいのですが、花巻の中学生が今回の災害について作文を書きました。

「僕のおばあちゃんが言っていました。人があんまり自然から離れてしまったので、津波は遊びに来たんだと・・・」

前後の文も聞いて、涙が出るほどの深いものを感じました。

ウミネコはくちばしの色が面白いです。観洋にくるウミネコは、こちらが志津川の街を見て感傷的になっているのを不思議そうに見てくれます。本当はお菓子をねだっているのでしょうね!

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