当麻喜明

叔母ちゃんの名札

2016年8月15日 | 当麻喜明 | Comment0

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私の叔母は昭和18年に国民学校を卒業し、19年に女子勤労挺身隊でパラシュートを作っていたようです。20年終戦ですから、波乱に富んだ青春時代でした。挺身隊のとき胸に付けていた名札が、綺麗に保存されていました。

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太平洋戦争敗戦の前年、満25歳未満の女子に勤労奉仕の義務が
命じられました。女子挺身(ていしん)勤労令(昭和19年)です。

叔母は国民学校を昭和18年に卒業したので、翌年に勤労奉仕が
ありました。父の話だと、第六五八五工場はパラシュートの
製造をしていたのではないかと言っていました。挺身隊修了後、
すぐに敗戦となりました。

1年間胸に縫い付けていた名札は、丁寧にほどかれ、ほつれない様に
かがり縫いをされ、ずっと棚の奥の奥にしまわれていました。


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別のところで、国民学校卒業時の寄せ書きも見付かりました。
ノートの表紙は日の丸に戦闘機です。


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最初のページは全員そろった記念写真・・・
セピア色のモノクロ写真を、少しだけ戻してみました。
(建物は現在「所沢市立小手指中学校」前身の国民学校です。)


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当時の恩師の書き込みから始まります。


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「銃後の守り」という言葉は、戦争に行かなくても兵隊さんの
後ろから、私たちも戦っているという意味です。


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「職域奉公」という言葉はすべての職業が、国家の戦争遂行という
目的に協力することを指していました。


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当時の義務教育を終えた15歳の少女が残した言葉・・・
「武運長久」出兵した兵が、いつまでも無事なこと。


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「忠孝一致」主君は親と同じである、日本女性・・・


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「忠節」主君への忠義を守る気持ち・・・


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このノートを読んでいた私の姉が「北田 利(とし)」さんに目が
とまりました。この名前に記憶があったからです・・・

姉の中学時代の恩師、と思われたのです。
最終ページの住所をもとに、私はお尋ねしてみました。

御元気な叔母の同級生にお会いできました。たしかに北田先生は、
姉の小手指中学校時代の恩師でした。


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寄せ書きの最後に先生たちが添えた言葉・・・

「お互いに手紙を出して、励まし合い、よろこび、悲しみを共に
して、何時までも、仲良くしませうね」。

寄せ書きに添えた文章を、叔母に書いてくれた人たちの、その後の
人生が平穏であることを祈ります。

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