当麻喜明

二十三夜-荒幡にある月待ちの碑

2011年4月 5日 | 当麻喜明 | Comment[2]

01.JPG 2011.4.2 arahata sanyamati no hi

十五夜を愛(め)でる行事は各地で今も盛んだ。特に中秋の名月は話題になります。金閣寺も昇る月、池に映る月、月に照らされる庭園など「月待ちの寺」とも言える設計がされています。荒幡に「月待ちの碑」があります。

Ricoh GRDⅢ & Pentax K5


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タイトル画像が傾いている様ですが、水平に撮すとそうなるのです。
坂道の道路に垂直に碑が建っています。

碑を垂直に撮し直したものがこれです。


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荒幡にある第五文化幼稚園に向かう坂道が右、左に行くと吾妻公民館
の裏に続く道の間に建っています。


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月の本尊は勢至(せいし)菩薩 です。知恵でで苦を除いてくれるとされます。
二十三夜の月に捧げ物をし、勢至菩薩に祈れば、除災招福、家内安全が
叶うとも言われています。


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その二十三夜待ちの碑がここにあります。
私が撮した月齢23に一番近いのが23.1です。


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私は、この微妙な欠け具合の月を待つ、繊細な行事だと思っていたのですが、


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旧暦二十三夜は下弦の月ということを知り、月齢22くらいの月だと判りました。
これだと、十五夜以降も待ち続け、区切りのいい月です。
この真夜中に昇ってくる月を風流に句などつくり待っていたのでしょうか。
私はそう考えていました・・・


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十五夜には団子や芋、栗などススキと共に供えます。
そして夕食をとる時間に月は昇ります。

十六夜(いざよい)、立待月、居待月、寝待月、月齢20が更(ふけ)待月。
昇る月の時間はだんだん遅くなっていきます。

では二十三夜はどんな風に月を待ったのでしょう。
1年に三回、1月、5月、9月が通称三夜待ちの盛んだった頃といいます。
どうも真夜中までお酒を飲める時だった様です。

外国では、夜中までお酒を出せる店の営業は週2日とか
制限がある所も多いです。

毎日お酒が店で出せる日本は案外珍しいのかもしれません。
多分・・・江戸時代後期くらいで文化が庶民におりてきた頃、
お酒を飲んで美味しいものを食べて月の出を待ったのでしょう。

それも年に3回だけです。毎日ではありません。
私は省エネと節約をこの碑に学びました。


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荒幡の9名の方が、この碑を建てたと書かれています。


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当時の方たちに見せてあげたい、さらに進んだ細い月。


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こんな月から地球を見ると煌々と輝く満月のような地球。
その光に照らされて輝く月の暗部。-地球照-


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しかしこんな月をみたら刻々と夜が明けるのが手に取るように見える。
夜が明けると待っているのは「仕事」だ。
だから年3回の夜中まで許された酔狂も二十三夜までだったのでしょう。

(実は二十九夜もあったというのだが、あまり流行らなかったという説があります。)


Comments [2]

No.1

昔の人は夜が長かったら、月を愛でてその変化を不思議に思いつつ
楽しんでいたのでしょうね。

そういえば信州松本城には「二十六夜神」が祭られているとつい最近知りました。

自然の力に感動して、思わず手を合わせたくなる時があります。
何か大きな力に生かされているような気がするからです。
そうそう、私の守護神は「勢至菩薩」です。月のご本尊が勢至菩薩
だとは知りませんでした。そうですか・・・月を眺めないとね。

今日は暖かな日でした。おおいぬのふぐりが咲いているのを発見。
今年はささやかな事がとっても嬉しい春です。

コメントをきっかけに、「二十六夜」の月の船に阿弥陀三尊が乗ってやって来るという伝承を調べてみました。満月のウサギは有名ですが、今度の満月は阿弥陀三尊に見立ててみようと思います。

結局は今の美しい日本の風景も激しい火山活動や大地の変化で出来たものです。後世の人たちに、また美しい日本の海岸線を残さねばいけません。春に見る小さな命が、本当に心に染みます。普通の景色が一番美しいですね!

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