当麻喜明

終戦の前後

2016年8月20日 | 当麻喜明 | Comment[2]

001.jpg 2016.8.19 tomatta jikan

片づけていたら、一枚の写真に目が留まりました。奥の書斎の封筒の中に、どのくらいの期間、動かず時間が過ぎたのでしょう。厚いモノクロ印画紙に記録されていた集合写真が、何かを語ってくれました。

Sony NEX-5ND


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とても良く保存された厚手のモノクロ写真。
私の叔母は前列右から二人目。国民学校を卒業したあと、
すぐに女子勤労挺身隊に入ったので、この写真の中の最年少。
恐らく右隣の方も同じでしょう。二人だけ少しお洒落な服装です。


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裏に「検査部一同 20.8.26」の文字が鉛筆で書かれていました。
第六五八五工場の検査部の方たちと、写した写真でしょう。
とても親切な方々に囲まれて、お勤めできた叔母の15歳・・・

「8.15」がポツダム宣言を受理し終戦したのですから、それから
11日たって挺身隊が解かれ、再集合した時のものでしょうか。
名札は付いていません。


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別に大きな茶封筒があり「終戦の言葉」と書かれていました。


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中にはコピーされた公文書が4枚入っていました。


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日付が「昭和20年8月14日」とあり、当時の御前会議の証書です。
終戦のための御前会議は8月9日から、数度行われたようです。

チャンネルNipponというサイトに詳しく説明されています。
サイトにはこの証書の現代語訳も記載されています。

私の叔父と叔母は、昭和3年生まれの同い年です。
叔父にとっても、日本がした戦争の影は計り知れない大きさ
だったので、どうしても心の中の清算が必要だったのでしょう。

いつ頃この終戦の証書を手にしたのかはわかりませんが、
国立公文書館にまで足を運ばせた思いを、私も大切にしたいと
思いました。


Comments [2]

No.1

今回のデジカメ講座楽しく勉強になりました。ありがとうございました。
残された遺品は普通はそのうちに処分されてしまいがちな物だと思いますが、丁寧に調べていくと色々なことが分るものですね。私も曾祖父までのことを調べてみましたが、当麻さんのような方が親戚にいたらもっと資料が残ったのではと思います。
それと御前会議の詔書も今回初めて全体を目にしました。

手探りで始めたデジカメ講座に参加くださりありがとうございました。

同時に発生した親戚の家の整理では、いつもの丘陵観察とは違った、普段気にしていなかった終戦の頃の人々の生活に思いをはせる機会を与えられました。亡くなった叔父は研究熱心で「所沢市史」なども全巻揃えられていました。昭和天皇が皇太子時代の現天皇にあてた手紙なども、考えさせる内容です。

http://www.saitama-peacemuseum.jp/

東松山の埼玉県平和資料館に行ってみる予定です。

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