当麻喜明

2011年の賢治祭は7/9-南三陸町役場防災対策庁舎

2011年9月30日 | 当麻喜明 | Comment0

201.JPG 2011.9.23 oka no ue no cyuugakou

志津川湾に面した丘の上に志津川中学校が建っています。23日の休日にも、グラウンドで運動部の生徒が練習を行っていました。しかし7割の生徒が家を失い、避難所からバス通学になった生徒がほとんどです。津波は上がってこなくとも、体育館は壊されました。

Pentax K5 & Q


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志津川町立から、現在は南三陸町に合併し大きくなりました。
21世紀に向かって前進する学校です。

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このグラウンドからは志津川の町が一望できます。


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真ん中に防災対策庁舎、右に志津川病院、私が泊まった「ホテル観洋」。
岩の上に立つホテルの2階まで海水が上昇しました。

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働くトラックが見えました。

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南三陸町役場防災対策庁舎・・・
ここの女性職員のお話はとても有名になりました。
2階に放送室があったそうです。

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志津川病院のひさしかベランダには船が乗り上げたままです。
庁舎跡にはたくさんのお花。

この画像を見ると、一見とても片づいたように見える町にも、
まだまだ作業が残されているとわかるでしょう。

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これでもまだ手の必要なことがわかりますが、道路を埋め尽くしていた
瓦礫は片づき、交通に傷害を加えるものは、ほとんどありませんでした。

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植物の向こうの建物の前には何が有るのでしょう?


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こんなにあったのか・・・
車の数。

人口の1/3位は、あらゆるものを考慮すれば「車」ってあるのでしょう。

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南三陸町合同庁舎。

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家があったに違いない場所に、車と草たち。

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車、くるま、クルマ・・・

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私たちの町では、大きなクルマにドライバーが一人ってことも多い。
ここではクルマが活躍していました。

すれ違ったクルマには、たくさんの人が乗っていました。


南三陸町のホームページより
防災対策庁舎屋上から撮した津波のもよう。

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