2014.05.25
さて、エントランスから美術館へと入っていきましょう。このエントランスは、美術館から少し離れています。群馬県立近代美術館は大きな美術館なのですが、コンクリートで出来た小さく薄暗いエントランスの奥には続くのは...。
すると、ガラス貼りの明るい回廊(コリドー)。少し歩くと美術館ホールへ到着します。
美術館ホールに入った後も、明るい回廊からの直線は、そのまま階段へとつながっています。右側には、鑑賞券を買う窓口があります。撮影していいか尋ねたところ、このホールなら構わないとのこと。左側には明るく広いホールがあり、その奥にある展示室の入口が見えています。
2階へと続く階段です。左右の壁は白い大理石貼りの豪華な仕上がりです。踊り場を数か所つくることによって、階段のボリュームを小さく見せています。
対して、広いホールは、コンクリートのままの壁、正面の突き当りの壁のみが、階段と同じ大理石貼りになっています。よく見ると、この大理石貼りの突き当りの壁には、階段状の複雑な段が付いています。壁というよりも、ひとつのオブジェのようです。
しばらく、この大理石のオブジェを眺めていると、美術館のボランティアの方から話しかけられました。「作品を眺めるのではなく、この突き当りの壁ばかり見ているひとは珍しい」というのです。「この壁には、建築家がメッセージがあると思いませんか」と。
その方から「プラトンの洞窟の比喩をご存知ですか」と尋ねられました。私は初めて聞く言葉でした。
洞窟に住む縛められた人々が見ているのは「実体」の「影」であるが、それを実体だと思い込んでいる。「実体」を運んで行く人々の声が洞窟の奥に反響して、この思い込みは確信に変わる。同じように、われわれが現実に見ているものは、イデアの「影」に過ぎないとプラトンは考える。
ウィキペディア:洞窟の比喩 より...
ホールでは、外の「実体」を写し込むために、突き当たりに大理石を貼ったのではないか。
大理石という素材自体に意味があるのではなく、外の景色を写しこむ「スクリーン」としての役割にこそ、意味があるのではないかと。
対して、なぜ階段では、左右の壁に大理石が貼ってあるのか。
左右の壁に自分自身を写り込ませるためでしょうか...。
自分自身を批評しなさいと...。
大きなガラスの向こう側に拡がる「実体」。突き当りの壁に写り込む「影」を目にすることで、はっと、背後に拡がる「実体」に気づくことができる。
このホールは、そんな「洞窟」なのでしょうか。
もう少し、書き足したいことがあります。次回に続きます。
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