昨日から地震被害のライブ中継を見ています。11日の、14時40分頃から24時間が経ちます。三陸沖と長野県中越地方、茨城県沖を震源にもつ地震が加わり、相当の数の「緊急地震速報」を聞きました。地元の荒幡富士も石段が壊れ、合目の石柱や頂上の石の祠(ほこら)や柵が倒れたと聞きました・・・
一見きれいな状態ですが、前述の通りの被害が出ています。
立ち入り禁止なので、山を回りこんでみました。
斜面右の板碑の角度が不自然に下を向いています。
これは地震の揺れで、大きく下に傾いているようです。
こちらの板碑は、ひっくり返り落ちていました。
入山口の鳥居です。
しばらくすると保存会か市の方が記録帳を持ってやって来ました。
観察しながら山頂へ向かっていました。
修復して丈夫になってくれたら、また登りに来ることにします。
ここではISSや、カノープス、富士山や秩父の山並み、東京の夜景など
ずいぶん見させていただきました。
もう一度、夕方行ってみました。
危険表示が朝より増えていました。
管理者からご厚意で、地震直後の頂上付近の写真を
お借りできました。
最後になりましたが東北地方太平洋沖地震で被災した方々の
早くの御復帰と亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
Comments [8]
No.1m.tadaさん
揺れました。揺れもかつてないほど大きく、そして長かったです。
幸いこちらは揺れただけで大きな被害はありませんでした。
ただ当日は停電になり、暗く寒く余震に怯えながら不安な夜を過ごしました。一夜あけて電気復旧。ようやく元気がでました。
ガソリンも灯油もこれからは当面手に入らないようですし、
いまだに大きな余震は続いています。
被災した方々を思うと本当に辛いです。
今回防災についての私自身の認識の甘さを反省しています。
対岸の・・・と思わず。防災の意識を持ってください。
ootakiさんから m.tadaさんへの返信
m.tadaさん、初めまして。仲間の水道設備の職人が、被災地から依頼を受けたそうです。3月15日11時半、私は事務所におりますが、正直なところ、自分や家族、仕事の心配でいっぱいなってしまいます。
私たち建築業のものたちが役に立てるように、現在の危機を乗り越えられることを祈っています。
moeさんから ootakiさんへの返信
ootakiさま、初めましてそしてありがとうございます。
思いがけない大きな災害で何をどうしたらよいか蒙昧の日々です。誰だって、自分の生活が第一です。
災害があるごとに、いつかは・・・とその時は準備をと思っても
その危機感は持続しません。私もいかに傲慢だったか反省です。
災害にあわれた方々もお気の毒ですが、目の前の現実のこれからの
生活が心配になります。
これから日本はどうなってしまうのでしょうか。
戦争や数々の災害を乗り越えてきたのですから、何とか知恵を出しあい協力しあい、日本の国を復興させないといけませんね。
一人一人が出来ることをしていくことが大事だと思います。
目下、私のできることは『節電』です。
No.2tomaさん
先月後半に、銀山温泉まで連れて行ってくれた山形新幹線も休止中でしょうか。地震の起きた11日、職場では二度の避難を実施しました。被災地ではTV情報も電源回復までなかったでしょうが、幸いこちらでは停電が無かったので、飛び込んでくる映像は「これって本当なのか・・・」と思うものばかりでした。大瀧さんがこのコラムの表紙の文を機転で替えてくれました。
太平洋のプレートに誘発されて、長野方面の地震の巣も動きました。茨城沖の震源の地震も気になります。私も防災意識をしっかり若い人たちに伝えようと思います。コメント本当にありがとうございました。
m.tadaさんから tomaさんへの返信
記憶によればtoma先生はかつて火山かなにかのお勉強をされていませんでしたか?(違ったらごめんなさい)
月にロケットが行く時代、宇宙ステーションに人が長期間滞在できるような時代になんで海の中のプレートの変動を把握できない
のでしょか・・・? 素人の素直な疑問です。
tomaさんから m.tadaさんへの返信
火山や温泉水、地球化学を勉強していました。自分の言動に鈍感でも、他の人の同じ行動で自分を省みて、恥ずかしくなることがあります。一見無駄に見えるかもしれない宇宙開発技術がきっと原発復帰に役立つと思います。ISSの船外活動の宇宙服は放射線に対して鉄壁です。火星や木星の衛星イオなどの知識は地球の数千年(数万年?)後にヒントをくれるかも知れません。
しかし今の自分がわからないのと同じで、今の日本周辺の地殻がしたいことがわからないのは歯がゆいですね。
No.7y.utagawaさん
初めて書き込みをさせていただきます。
toma先生、ご無沙汰をしております。
もう十年以上前に、米軍通信基地の隣の学校にて、
お世話になっておりました。
担任を持っていただいたわけではないので、
覚えていらっしゃらないかもしれません。
今年に入ってから、このサイトを偶然発見し、
それ以来、ちらちらとチェックしておりました。
折を見て書き込みを、と考えておりましたが、
こんな形になろうとは、思いもよりませんでした。
先生がご無事のようでなによりです。
とはいえ、まだまだ安心できる状況ではありませんね。
No.8tomaさん
おはようございます。私の赴任地では4年間の一番短い所でしたが、思い出はたくさんあります。このサイトは二人の人間の混沌とした興味や願いから出来ているので、何処かに共通の関心事があるかもしれません。
お住まいの地域には、たくさんの人の生活を支える施設が、多くあります。今回の地震の収束を、本当に願わずにはいられません。これからも当サイトの良き読者様でいて下さい。訪問ありがとうございました。
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