2014.01.26
雪の戦場ヶ原を歩きました。一面の雪景色を眺めながていると、いろいろな想いが浮かんで来ます。以前読んだ本を引用しながら、そのときの写真をご紹介します。二部構成の[野鳥]編です。
『 宮沢賢治詩集 』宮沢賢治
『「銀河鉄道の夜」の初期形において、ブルカニロ博士は夢から覚めたジョバンニに対して「私はこんなしづかな場所で遠くから私の考えを人に伝へる実験をしたいと考へていた」と語る。』吉田文憲
野鳥を追いかけていると、ふと私の相手をしてくれるものが現れる。日光の湖のほとりで、雪に隠れていたエナガを見つけた。私に見つかっていないと思っているのかの表情だ。
『 わたくしといふ現象は、假定された有機交流電燈の、ひとつの青い照明です。風景やみんなといっしょに、せはしくせはしく明滅しながら、いかにもたしかにともりつづける、因果交流電燈のひとつの青い照明です 』宮沢賢治
交流電燈と直流電燈をと比べてみます。直流電燈はずっと光っているのに対して、交流電燈は瞬間的に光っていることが連続しているだけ。瞬間と瞬間が連続していることを「生きている」というのでしょうか。針葉樹林の留鳥、キバシリ。木から木へと、せわしなく餌を探していました。今、細いくちばしで見つけた虫をくわえました。
『 風に吹かれて山頭火―池田遙邨小画集 』池田遙邨
『 鴉(からす)啼(な)いてわたしも一人 』種田山頭火
『渓流の素潜り名人』のカワガラス。冷たい水中を歩き回り、川底の餌を探していました。カラスのようでカラスではなく、スズメ目カワガラス科カワガラス属に分類されています。
『 捨てきれない荷物のおもさまへうしろ、おもひつめたるこころの文字は空に書く、山の色澄みきってまつすぐな煙 』種田山頭火
走っているときには感じない重さも、ゆっくり歩くことが許されるときには、ずしりと感じます。ひとに伝えるべく言葉を伝えずに、自分のリュックに詰め込んできたのですが、この空の隙間に記すのは、一行だけにしておきます。
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